Zero-Alpha/永澤 護のブログ

Zero-Alpha/永澤 護のブログ

02

道元best



【訴訟=過程】
『(再びウェスト・ウェスト伯爵婦人のもう一人の分身=X=旧暦通称「光磨・S」の〈声
=分身〉)――〈私〉は私の身体に対する親密な領域から隔離された。常識に対する疑いは、
しばしばここから始まる。私の体の中の必要のない、余計な、場違いなもの。絶え間のな
い違和感が、激しい衝撃による(自己-)統合システムの破壊の後でやってきた。それで
もなお、かつての健康な身体の記憶が微かによみがえってくる。自然と意志がまだ分裂し
ていなかった、あの奇跡の状態の記憶である。〈私〉がまだゲイ・テニスボ-ル(何のこと
はない、テニスボ-ルの「喜ばしき知識」[ニ-チェ]のことだ)と親密な遊びを繰り返す
ことができたあのなつかしの日々……。過去の身体の状態の記憶が、〈健康〉という尺度と
なって、危機の認識をかろうじて可能にしているのである。かつては自らの意志が(つま
り自由な意志が)一切を支配していたとも、あるいは一つの完璧なメカニズムがそこにあ
ったとも言える。どちらの言い方も可能であった。(つまりその違いはどうでもよかった。) 
よって《自由と因果性の二律背反》が解決されていたのではない。それはまだ存在してさ
えいなかったのだ。もちろん、このことを〈私〉は人間一般に拡大するつもりはない。そ
れはあくまでも私の身体の状態である。とにかく幸福な身体が失われてしまった。身体=
自然の喪失。この〈体〉を、あるいはこの〈体の状態〉を、一体何と呼べばいいのか? 
 私の体は自らの危機をまだかろうじて自らに警告している。かつての身体の記憶を呼び
起こすことによって。まだこうした記憶が、かろうじて残っているのだ。それが唯一の救
いであるとも言える。だが逆に言えば、さらにこの先に、全面的な崩壊状態が待っている
ということなのだ。しかし状態は持続する。問題になっているのは、〈私の身体〉に、さら
には〈私自身〉に、何か全く異質なもの、いわば完全に未知の〈何ものか〉が、恐らくは
その同じ〈何ものか〉によって、内的に?組み込まれてしまったということなのである。
しばしばいてもたってもいられなくなる。この点に関して、他者に対する説明は徒労であ
ろう。かつてはありふれたものに見えたシステムは、強力な〈外の力〉?によっていとも
簡単に破壊されてしまったのだから……。
 ――それが維持されることについて、何一つ《ありふれたこと》はなかった。〈私〉は消
すことも、押しとどめることもできない〈出来事〉によってこのことを学んだ。しかしこ
のことは、持続する苦しみをもたらしたと同時に、明らかに一つの希望をもたらしたのだ
った。言い換えれば、恐怖に打ち勝つ大いなる喜びを。
 何ものも永遠に〈私〉の生存を隷属させることはできない。〈私〉の戦いの相手――それ
がいつかは滅び去る時がくるのだ……。だが、恐らくその時は、もはや〈時〉ではない。
それは〈いつ〉でも、そして〈どこ〉でもない。つまり、それは〈時空〉という場面では
ないだろう。ただ、その際〈私〉は滅びなければならない。そのことが予告されたのだ。
 
 〈私〉の言葉に突然裂け目がうがたれる。閃光とともにガラスが粉々に砕け散り、一瞬
にして〈私〉の体の隅々にまで突き刺さる。《隙間/裂け目》の経験。(…………) 〈私〉
はいったん崩壊していたのか? 沈黙、あるいは、叫び声が生まれた。〈私の廃虚〉の中か
ら誕生した、およそかつて聞かれることのなかった叫び声。〈出来事〉のただなかで体の状
態が叫び-波動となってほとばしる。その〈体の状態〉に、〈私の身体〉を重ね合わせるこ
とはまだできない。だが、むしろこう言うべきだろう。そのチャンスはすでに永久に失わ
れていると。〈私〉の手元にあるのは、感覚と呼ばれるものに関わるわずかな言葉の断片と、
それら断片と絡み合った〈何かあるもの〉という残り物である。それを〈私の身体〉と呼
ぶことはできない。いわば残像に過ぎない。フラッシュとともに、〈体の状態=X〉の記憶
として、それはそこに焼き付けられた。だが、私がその写真を手にいれることはできない
のだ。
 そこで決定的に失われたものがある。〈私〉の手元にはもはやないもの。それによって
〈私〉がいつも呼びかけられていたもの。そして〈私〉の言葉と体の《隙間=裂け目》を
うがつもの……。それは〈ほとんど物〉であった。それはさまざまな言葉の反復とともに
〈何かあるもの〉を触発し、その都度ある特異な体の状態を生産した。つまり様々なもの
とともに、そしてそれらの狭間で〈私〉は生まれてきた。そしてそれら様々なものによっ
て〈私〉は育てられ、それらがやがて失われ、消えていくとともに〈私〉も変貌していっ
た。そしてその反復。こうして体に刻み込まれたもの、あるいは〈今〉目の前に広がる果
てのない廃虚。もはや残酷とも孤独とも呼ぶことのできない〈光景〉。たとえそれが、無限
に繰り返される一切のものの誕生と死の一つの断片に過ぎないのだとしても、まさにそれ
こそが謎であり、問いかけでもある現実ではないのか?
 だがしかし、〈あなた〉は(恐らく他の多くの人々とともに)〈今〉この最後の光景を《画
像=ディスプレ-》で見ていることだろう。(恐らく、〈私〉は〈そこ〉にいる。) 〈あな
た〉は〈今〉、〈どこ〉にいるのか? 〈あなた〉と〈私〉の消しがたい差異がここにある。
〈あなた〉は今、《画像=ディスプレ-》を眺めているのだ。果てのない廃虚の中で、〈私〉
はそのことをも思考しなければならない。画像=ディスプレ-。すなわち、無数の《隙間
=裂け目》の束をコントロ-ルしつつ包み込んだ触発プロセスの一つの完成したスタイル。
〈私〉の〈隣の部屋〉で、〈あなた〉はそのプロセスとともに《触発ファクタ-》をいつま
でも受容し続けている。――《画像=ディスプレ-》の触発プロセスは、その都度ある特
異な《時空連続体》への予告としての〈体の状態〉を際限もなく反復させる。やがてその
〈反復-状態〉のツルツルとした表面がネットリと重力と吸着力を増し、そこに〈あなた〉
という謎めいた《状態=X》が生まれる。〈あなた〉は、その閉ざされた部屋でこの《最後
の光景》を眺めている。〈あなた〉が眺めているのは、一切のものを貫く沈黙と光と闇の一
つの断片、すなわち《画像=ディスプレ-》なのだ。それが相変わらず〈現在〉と呼ばれ
る〈あなた〉の世界のすべてだ。そして〈私〉は〈ここ〉にいる。〈ここ〉にいて、恐らく
は一切のものの誕生と死の結び目をあるスタイルで表現する一つの世界の崩壊を見つめて
いる。その一つの世界とは、今ここで《画像=ディスプレ-》を介して互いに交錯する〈私〉
の世界であるとともに、〈あなた〉の世界でもある。あるいは、〈我々〉の世界。それは自
らを、つまり〈現在〉を乗り越えるために一度滅び去る。〈私〉はいつか〈あなた〉と出逢
うだろう。だがそれは、もはや〈いつ〉でも、そして〈どこ〉でもないのだ……』
【最小限の追憶】
『(あの生体政治工学実験用焼き鳥小屋「お食べ」の片隅。第五次C級植民地局地戦争に
おける最悪の激戦地の一つであったロ-ザアウロ-ラ製バ-・カウンタ-裏側の亀裂に優
雅に埋め込まれた準生体回路「お密」が、自らの誕生の時から植民地戦争へと到るプロセ
スに関わる最小限の追憶を紡ぎ出す。)――かつて見たこともない町外れの道端にたたずみ
ながら、〈私〉は微かな追憶の中へと入り込んでいった。やがて〈私〉はこの道を思い出す。
〈私〉がまだ本当に幼い頃、確かに〈私〉にこの道を教えた者がいた。あの曲がり角でこ
ちらの方向へと〈私〉を誘った者。そこに誰かがいたのだ。だがそれは、一体誰だったの
か? 〈私〉を誘惑した何かあるもの。それは、はるかな昔にこの道を〈私〉に教えた誰
かの記憶である。〈私〉の生存に最小限の方向を植え付け、その方向にある特異な感情を深
く染み込ませた者。その時一つの始まりが、従って一つの終わりが〈私〉とともに獲得さ
れたのだ……。
 「思考の方向を定めるとはどういうことか?――カント。」 今やこの問いかけが浮上し
てくる。〈私〉があくまでもこの道をたどろうとするのは一体なぜなのか? いつから、そ
してどこからそれは始まったのか? ほとんど解答不可能な問いかけ。だが、〈私〉はそれ
を探究しなければならない。なぜなら、もし〈私〉がこの袋小路から脱出できなければ…
…。この道は、日々の生活の枠である。それはあくまでも枠であり続けることで持続して
いる。〈私〉はこの方向と秩序、そしてこの秩序と感情をもはや分離することができない。
 ――ある者たちは、この探究のプロセスで一挙に《民族の記憶》と呼ばれるものへと巧
みに誘導され、到るところで血塗れの闘争を繰り返しながら、《国家-状態》と呼ばれるも
のを次々に解体していく。密かに送りこまれた何者かによって、彼らは《国家-状態》が
この道を教えたのではないことを教えられたのだ。彼らは叫ぶ。「この道は、《国家-状態》
と呼ばれるものよりも古い。」 「ああいう人々こそ、あらゆる手段を使ってでも抹殺すべ
きなのだ」と《国家-状態》は絶えず沈黙の内に教え続けてきたはずなのに、そしてそれ
によって《国家-状態》は人々の欲望に最も分かりやすい体裁を与え続けてきたはずなの
に、今度は(何者かによって巧みに誘導されてだが)人々が《民族の記憶》と呼ばれるも
のに従って殺戮の対象を独自に決定し始めているのだ……。
あの〈何者か〉が《国家-状態》の代理人であったのか、それとも《国家-状態》があ
の〈何者か〉の代理人であったのか……。ここであくまでも独りであり続けることは死を
意味する。今は独りでこの道を歩き続けることは困難だ。なぜなら、この道はすでに彼ら
によって封鎖されてしまった。完全武装した人々の群れが常に監視を続けているのだ。ま
ともにこの検問を突破しようとすれば、〈私〉はただちに捕獲され、殺されるだろう。(も
し〈私〉がこの袋小路から脱出できなければ……。) 何と、相も変わらず再び《国家-状
態》への道なのか? それとも、すでに極秘の石油探査が始まっているのか? (すなわ
ち、彼らはあのなつかしの旧暦通称〈王室のオランダの貝殻〉と無期限感謝提携。) それ
とも……。しかし、探究のプロセスが終わることはない。〈私〉はあくまでもこの道をたど
ろうとする。〈私〉とともに、数多くの者たちが滅び去っていくだろう。〈私〉とともに、
様々な布地で織り成された一つの〈道=枠〉が浮き彫りになり、激しく引き裂かれていく。
避けることのできない道。それでも、いつしか、〈私〉は〈あなた〉と出逢うに違いない。
だがそれは、もはや〈いつ〉でも、そして〈どこ〉でもない……』

【来るべき訴訟領域】
 『(お密の体内にセットされた《管理回路》=「引き出しのついたミロの親回路」の信号
音がアラ-ムへと切り替わる。予告。すでに移転して久しいあのなつかしのアクシスCM
Xからほどない旧暦通称アカサカ・ビリ・バリ・タ-ミナル・レインジが近く知られざる
料亭「エクシ-ルお越しやす」と無期限感謝提携。一体〈何〉がおこるのか……。)――今
ようやく、街は最後の〈分割〉を終える。人々の動きが一瞬凍り付き、深い沈黙が舗道に
染み渡っていく。街は自らの分割の記憶を失ってしまったのだ。それも永遠に。分割。切
断。区分。統御。調整。隔離。封鎖。遮断。排除。接続。中継。連結。そして、それらす
べての滑らかで絶え間のない増殖と流通……。こういったものは今や全くの謎として現れ
る。街の無数の区域――あるいは、組み合わせ構成単位――に絶え間なく分割-切断され
続けたこの街で、まずこの一つの区域-単位が超-溶融廃虚と化した。黄昏の薄明の中を、
あたかもデ・キリコの沈黙の画布に登場する少女の様に駆け抜けていく人々の陰で、かつ
て誰もが置き去りにし、闇に葬ってきた《第三の領域》がその姿を現し、街は新たな訴訟
領域へと徐々に誘導されていく。もはや、誰一人それを阻止することはできないのだ。
 すでにそれは〈私〉の体内にも侵入を開始した。だが、〈私〉は苦痛を感じない。余りに
も深い眠りの中で、〈私〉は再びこの超-溶融区域と同化してしまったのか? しかし、
〈私〉は今、一体どこにいるのか? かつて決して必要とされなかった問いかけ。自らが
〈位置〉そのものであったその区域-単位は、もはやどこにも存在していない。つまり、
〈私〉の位置はもはやどこにもない。その情報はすべて消滅した。何者かによって占領さ
れて久しいあの〈公会堂〉の壁面に埋め込まれた《画像=ディスプレ-》は、絶えず不規
則に揺れ動く暗黒の縞模様を映し出している。〈私〉はそれを読み取ることができない。こ
の街の内部での〈私〉の位置を唯一つ示すはずのその区域-単位は、街の一つの切れ端、
断片/分割肢といったものではなかった。それはむしろ、〈私〉の〈体内〉でランダムに増
殖する癌細胞だったのではないか? ……街とその外部との境界は消えていた。すなわち、
街そのものの位置はすでに消えていた。一切の標識――街をそれ自身と、そしてその外部
へと関係づける者が謎=問題と化してしまったのだ。
 ……だが、〈私〉のこの眠りは深い。この眠りは、何者かによって組み立てられているよ
うだ。しかし、〈私〉はこの眠りの仕組みに触れることができない。〈私〉のこの眠りの背
後で、一体どれほどの人々が消えていったのか? 〈私〉が殺したのだ。――〈私〉が死
ぬことによって。しかし、もしそうだとしても、〈私〉はそのことに触れることができない。
〈私〉は苦痛を感じることができないのだから。〈私〉はこの《第三の領域》、あるいは滅
び去っていった人々の生存に触れることができないのだ。
 ……来るべき訴訟領域。それが〈私〉の体内で密かに活動を開始した。(今思えば、その
きっかけはごく些細なものでした。商談を終えた「エクシ-ルお越しやす」のおかみ「密
緒」が、〈私〉の目の前で意味ありげに袖で唇を隠しながら、何かを――恐らくは内密で皮
肉な笑いを――他ならないこの〈私〉に投げかけてからなのです。) 〈私〉は〈私〉自身
の位置を、何かあるものによって与えられていたのだ。〈私〉がその位置を刻む前に。すな
わち、〈私=我々〉がそれに同化する美的なスタイル。――密緒のあの袖振り笑い、あるい
は生存の美学。
 ……こうして、〈私〉の〈体内〉、それこそが不断に組み立てられ、コントロ-ルされ続
けてきた《存在=自然状態》という《問題=X》なのだということが次第にあらわになっ
ていく。来るべき訴訟領域、あるいは、コントロ-ル不可能なものとなった〈体内〉。今や
〈私〉/《問題=X》は内側から折り返され、裏返しにされる。もはや〈街〉とも呼べな
い目に見えない廃虚のただなかで、つるつるした抵抗=ゼロの美しい皮膚に覆われ、隠さ
れていた無数の襞が黄昏の光と闇と沈黙に晒され、永い眠りから目覚める。流れ続ける血
液。

〈それ〉はもはや《何》とも言い難い。
  
 〈それ〉はもはや、あの〈治療対象〉ではないのだ……。


 
 訴訟=過程。それは、あらゆる〈機構〉[関係の連続体としての、〈我々〉の日々の生活]
にその都度組み込まれつつ、あるいはその〈機構〉を固着させ、あるいは掘り崩していく。
それ自らがこの〈機構〉でもある不可逆的なプロセス。それは究極の《審判=判決 das
Urteil》として完結することはないだろう。ある洞察とともに、それはどこまでも継続され
るだろう。……その様に永遠に未完の過程であり続けるカフカの《訴訟 der Prozeβ》は、
やはり未完であり続ける《城》へと継続される。こうして、内在的な戦いは持続するのだ。
《城》、あるいは〈訴訟=過程〉としての〈機構〉の名称。あるいは、綱渡り。

 ――もし、〈私〉が深い眠りの中で何者かに綱渡りを強いられ、その後、綱を断ち切られ
転落してしまったのだとしても(……だがそう言い切ることは決してできないだろう)、や
はり〈私〉は綱渡りをしていたのだ。そのことを打ち消すことはできない。〈私〉は、傍ら
でそれを眺めていたわけではない。……だがむしろ、この転落こそが綱渡りではないのか? 
そして、そこにおいてこそ賭けられる何かがあるのではないか? それは、〈訴訟=過程〉
なのだ。恐らく後戻りはできないだろう。すでに賭けは為されていた。〈光景〉のすべてが、
激しい速度を包み込んでいた。巨大な重力が〈私〉の体を隅々まで 折り曲げていく。断
ち切られる綱とともに、その綱をそこにつなぎ止めていたものも転落するだろう。もしそ
の綱が二つの塔の間に張り渡されていたのならば、その二つの塔も崩れ去っていくのだ。
〈私〉と〈綱〉と二つの塔が転落を続ける。これら一切が同時に綱渡りを続けるのだ。こ
うして、〈訴訟=過程〉はどこまでも継続される。一体どこまでそれに耐えることができる
のか?
 
 「(転落していく塔の内部に「〈何〉かの間違いで」閉じ込められた誰かの細かく切断さ
れた絶叫。)――だが、転落とは〈何〉か?  訴訟とは、〈何〉か?  一体〈何〉がど
うなっているのか?  これは〈まとも〉ではない。 これは〈何〉ではない。  ――
違う!  これは〈パイプ〉ではない!  どこか狂っている!  ――そうだ!  〈お
前たち〉はみんな狂っている!  〈どこ〉から眺めれば、〈見晴らし〉[――例えば、ウ
ィトゲンシュタイン]がきくのか?!  〈どこ〉から眺めれば、この不安が消えてなく
なるのか?! (……………) 〈私〉はもう《何》も話したくない!!」

 ところで、〈私〉はそれを見てはいないにしても、一般に〈展望台〉[――例えば、ヘ-
ゲル]と呼ばれるものがどこかにあったのかも知れない。誰かが、あえて塔に付け加えて
いたのだろうか? そこでは、見る-見られるといったゲ-ムを演じていたつもりの人々
もいたのかも知れない。(そのことを誰がどうやって〈見る〉のかということは別にして
も。) だがその塔は、いわば最初から〈私〉と〈綱〉とともに終わりのない《転落=訴訟》
を続けていたのだ。

「――そりゃそうだろ。あまり驚くなよ。その方が面白いじゃないか。」
どこかで軽やかな声。楽しそうだ。舞踏が始まったのだろうか?』

【変奏曲】
『(蒼白のヴィデオ切り張り細工シリ-ズ「お越し〈安〉」を正しく切断剥離焼却した「お
密」が強度陶酔自己忘却へと正しく移行。〈私〉は未来の記憶の流れに沿って、「お密」の
背後でマダム・パロマ・ピカソと裏切りの微小/微笑距離接近遭遇し、晴れ晴れと、別れ
る。)――分割の記憶を失った街を静かに貫いていく風。それは透き通った大気=言葉であ
り、彼方へと横断していくことによって〈私〉にうがたれた深い傷口/亀裂に浸透し、そ
れを変容させる。もはや、ここには誰もいない。〈私〉は砂漠となった大地の上に立ち、た
った一人でその言葉をたどる。
 「……我々が今問題としているこのシステム化された思考には相補的存在があって、そ
れと血肉を分けているのです。こうした思考はネガティブの本体から切り落とされた部分
に過ぎず、それをとりまく空であり虚であるものに侵されずにすむ可能性はごく小さいの
です。(……)システムに比べてネガティブの領域が広大であることに不遜になるとき、そ
の時彼らは、創造的発想のより所である想像力を新たに駆使しようにも手の届かないとこ
ろにいるのです。実のところ、想像力の駆使とはシステムの中にしっかりと収まった場所
からシステムの外にあるネガティブの領域へと用心深く身を浸していくことだからです。
(……)想像力という内なる耳は、どんなに多くの外的観察を重ねるよりもはるかに強力
な刺激になるのです。モ-ツァルトと電気掃除機が偶然一緒になった事件を通して私はそ
れを悟りました。(……)諸君はシステムとドグマ、つまりポジティブな行為のために教育
されてきました。想像力に出来ることは、これを前景とし、限りない可能性、つまりネガ
ティブの広大な後景を背に、両者にはさまれた一種の無人地帯として役に立つことだけで
す。
――グレン・グ-ルド。」
 
 ……前景と後景との間にはさまれた一種の無人地帯。確かに聞いたことがある。だが…
…一体いつ、どこで? ――思いだした。そうだった。あらゆる問いかけはここから始ま
ったのだ。この狭間から。〈私〉は振り返る。鮮明な予感。暗黒物質の接近。そして静寂。
〈私〉はさらに〈転落=訴訟〉を続けるだろう。恐らく、それは際限なく繰り返される。
問題の無限反復。だが、〈私〉はもはやそれを恐れない。ここでは愛すべき音の流れさえ生
まれ続けるのだから。すなわち、横断していく風/言葉/笑い。
 ……二つの塔の間に張り渡された綱の最も性急かつ陳腐な〈解釈/実践〉が転落してい
くのが見える。すなわち、存在=知。かつては、あたかも一切の〈転落/訴訟〉があらか
じめ排除されていたかのようだった。だが確かに、この《存在=知》という〈解釈/実践〉
を避けがたい前提にして初めて、《テロリズム》と呼ばれるものが誕生したのだった。(仮
に監獄の誕生は別にしても……。) そこでは、あらゆる問題プロセス、つまり《訴訟=過
程》の排除が出発点となる。あらかじめ《存在》が絶対化されることが必要とされる。つ
まり、破壊すべきものの《存在》こそが絶対的なものなのだ。(つまり、あらかじめ〈絶対
的なもの=敵〉への敗北も決定済みであり、正当化されているわけだ。)その上で、この《存
在》の知(すなわち破壊)が自らの《存在》を声高に叫び続ける。最も退屈なもの、すな
わち《存在=知》。この〈解釈=実践〉は、あの無人地帯を透明な大気として横断していく
ことが決して出来ない。それは、この深くうがたれた傷口/亀裂にわずかに触れることさ
えできないのだ……。
 この誰一人いない《砂漠=大地》では、かつての〈解釈/実践〉の不毛な闘争がひどく
調子はずれなものになってしまっている。それはもはや機能しない。いくら陰口をたたい
ても、自ら創り出したその永遠の責め苦のただなかで餓死してしまう。それは、あの深い
眠り/死であるとともに、言葉の餓死でもあるだろう。ある言葉の後で、やがていつかは
誰もいなくなる。すべてが終わったかに見える。だがそれでも、この無人地帯では絶えず
何かが語り続けられるのだ。もはや何ものでもない何かが。それは、例えば〈私〉と〈あ
なた〉の狭間に生まれでる《訴訟=過程》である。再び透き通った風が横断していく。決
して過ぎ去ってしまうことのない風/言葉/笑い。

 (ここでマダム・パロマ・ピカソはアカサカ・ビリ・バリ・タ-ミナル・レインジ変換
跡地売却に関する五度目の商談を終えた料亭「エクシ-ルお越しやす」のおかみ密緒[実
は旧ウェスト・ウェスト伯爵婦人]ときわめて不安な夜を過ごした後、ついに最後の準-
永久循環無限抱擁……。)

 ――それはここまでやって来て、あの《中央防波堤裏側絶対悪無(際)限反復超溶融不
可逆分裂生成廃棄物反処理場変換跡地》界わいから生まれでる放射線に貫かれた〈私〉の
体を絶えず横断し続ける。今やこのはるかな《砂漠=大地》の上では、《趣味の問題》があ
の〈泉〉[R・マット氏(あるいはロ-ズ・セラヴィ-氏)旧暦1917年発見]で水浴し
ながら、その初々しい裸身をあらわにする。〈私〉はそこで、必ず〈あなた〉に出逢うだろ
う。こうして、この《砂漠=大地》を横断していく風/言葉/笑いは初々しい。それは〈私〉
と〈あなた〉の間に張り渡されたあの《訴訟=過程》、あるいは瀕死の状態からその都度か
ろうじてよみがえる火花であり、炎なのだ。』  

【何とも不可解な成り行きによって《変換跡地界わい》に置き去りにされたある一群の
人々の物語】
『(《変換跡地界わい》に置き去りにされたある一群の人々が、今ようやく変換跡地売却に
関する最後の[と噂される]商談を終えた密緒とマダム・パロマ・ピカソが一夜を過ごし
たホテル「ラ・ロッシュ」のジヴァンシ-製反戦略防衛タイプ暖房洗浄便座の上でなぜか
突然《絶対倦怠疲労覚醒症候群》にウィルス感染。)――いかなる救済ももたらさない教え
は、厳密に言えば《教え》ではない。これは教えではない。あれも教えではない。これら
は皆、どれもこれも教えではない。彼ら《教え》を説く者たちは、そろって万人による苦
痛の共有を、あるいは苦痛の普遍的共同体を唱えるが、例えば、たかだかここ数千年の歴
史に限ってみても、すでに暗黙の習慣となっていたそんなつまらないことを今更改めて〈意
識〉させるために、すなわち再び〈表〉に(あるいはむしろ《内面=魂》に)さらけ出さ
せるために一体どんな《教え》が必要だったというのだろうか? 実は全く必要ではなか
ったのだ。そんなものは、そもそも全く余計なものだったのだ。言語に絶するとはこのこ
とである。
 しかし、苦痛の普遍的共有による苦痛の克服はもちろん不可能だった。一度は終わった
かに見えた世界(例えば《変換跡地界わい》の状況)は決して停止しない。〈他人〉=〈彼
ら〉(例えば、この状況に等しくさらされながらも、それを見ることも感じることも出来な
い、あるいは見ることも感じることも拒絶した者たち)は次々と現れては去っていった。
その繰り返しはいつまでも続く。(封鎖され、隔離されたこの世界に置き去りにされた
〈我々〉の生存とともに。――分かりきったことである(はずだ)。ところが、いやだから
こそ、〈預言〉への執拗な欲望はここから、この〈我々〉の不安から生まれたのだ。すなわ
ち、あの《不安の宗教の信徒たち》を養っているのは、実は〈我々〉なのである。)
 (……)〈私〉はと言えば、〈私〉が〈彼ら〉と語った(はずの)ことは、実に当たり障
りのないことばかりだったのである。〈私〉は〈彼ら〉の顔も名前もその他のこともほとん
ど憶えていない。確かに〈彼ら〉との間にはかなりの苦痛があったはずなのだが、その時々
の〈私〉に対しては(ごくわずかのタイム・ラグを伴いながらも)なぜか巧妙に隠されて
いたようだった。そこでは、密かに大き過ぎる(そして無駄な)努力が払われたのかも知
れない。だが、今となってはもうはっきりとは分からない。もはやその陰蔽のプロセスは
ぼんやりと霞んでしまっている。〈彼ら〉との間に生まれた苦痛の際限のない多重化、袋小
路の経験は、すでに記憶の前景からは退いたようだ。だが、本当にそうだろうか? 解答
はない。
 (……)かつて苦痛は〈皆〉に共有されているものだと信じられていた。絶えず身をも
ってそう教え込まれていた。「誰もが重い不安を抱き、〈お前〉だけではなく。〈他人〉も同
じ様な苦痛を背負っているのだ」と。こういった形で徹底してたたき込まれた触発=苦痛
こそが、《苦痛そのもの》という(〈我々〉によって共有されることになる)概念を構成し
ていたのだった。たとえ〈我々〉が悲惨きわまりのない殺し合いにいやおうなく駆り立て
られようとも、こういった形で《苦痛の経験》を、さらには《苦痛そのもの》を消去でき
るはずだった。《苦痛そのもの》の消去とは、従って、「苦痛とは、誰も経験していない時
に誰もが経験し、また逆に、誰もが経験している時には誰も経験していないものである」
というパラドクス、いわばクノッソスの迷宮にそれを永久追放することであった。もはや
それは、手の施しようのないほどに、誰にとってもとらえ難いものになってしまったかの
ようだった。
 ――しかし、当然のことだが、やがてそこに一連の問いかけが生まれた。なぜか《苦痛
そのもの》が、「〈私〉が苦痛を感じる。(経験する。)」という言い方にひとつの問いかけ
を突きつけるものとなってしまったのであり、言い換えれば、「誰が苦しんでいるのか?」
という問いに「誰が答えられるのか(あるいは答えられないのか)?」という問いかけが
深い沈黙の中で不断に為されることになったのである。(ここ《変換跡地界わい》において
はかつてなかった革命的な事態である。) だが、実際には、こうした問いかけが為される
ことは決してなかったために、あらゆることが不気味にも曖昧にされてしまうことになっ
た。だがそれにしても、ここで曖昧になっているのは一体〈何〉なのだろうか? 〈私〉
の苦痛だろうか? それとも、立ち去っていった〈彼ら〉の苦痛だろうか? あるいは
〈我々〉(とは?)の苦痛だろうか? あるいはそれら一切だろうか? (ここ《変換跡地
界わい》では、どうやらまだ、《自らの苦痛》を〈他人〉へとさらけ出すことへの深い恐怖
が蔓延しているようだ。それをあえて、[最悪の場合には最初に]認めてしまうことがもた
らす災厄への恐れ……。) ところで、これは〈私〉の問いかけである。なぜなら、〈私〉
は今たまらなく苦しい。〈私〉は〈ここ〉からなんとかして脱出しなければならないのだ! 
 ――いや、それとも〈あなた〉の問いかけだったのだろうか? すなわち、瀕死の状態
からかろうじてよみがえる〈あなた〉の叫び声。それとも……。(戦慄と微笑の出逢い。)』

【風/言葉/笑い―――未知のものへの旅】
『(ふと気づくと、〈私〉の寝室兼浴室のささやかな床下収納部分の裏側に慎重に据え付
けられたR・マット社製旅行用手提げ鞄[〈何〉と旧暦1914年物]の秘められた内部で、
恐らくは極限までミニアチュア=極小メモリ-化された癖麿が、笑いながら激しく血を流
している。最小限の追憶の中で〈何者か〉によって頭をかじられたらしい。〈特異点〉の誕
生である。ここで考えられる限りもっとも古風な表現を使うことをもし許してもらえるな
らば、それは《枯れた風情》としか言いようのないものだった。無言ではあるが、癖麿は
あくまで笑顔を絶やさない。今や〈私〉は癖麿から学んだ。この苦痛に満ちた行き止まり
状態においてこそ、未知のものへの旅が始まるのだということを……。燃え上がる波打ち
際に追い詰められた血塗れのトカゲが、身をくねらせながらぎりぎりの反転=跳躍を試み
るように。〈私〉はとりあえず熱い血の海に飛び込みながら、《若い娘=X》に糸巻きマニ
ュアル沈黙電話[旧暦1999年物レプリカ]をかけると、旅行用手提げ鞄の秘められた
内部で癖麿とともに〈なぜ〉か銀微笑。)

 ――こんなちょっとした悪夢にうなされながら、今は〈私〉のもとにはいない〈彼ら〉
が最小限の追憶の中に登場する。〈彼ら〉が立ち去ったのは、この《変換跡地界わい》の売
却がささやかれ始めたある夏の日の午後だった。(今でこそ〈あなた〉だけにそっと打ち明
けるのだが、言うまでもなく、売却の見込みはいまだ全くない。) その時、午後の日差し
が貫いた〈私〉の脳裏に鋭い痛みが走った。無数の〈脳裏-痛み〉が、流れ続ける血液と
ともに共鳴し合い、きらめきながら溶け合っていった。その午後の追憶の日差しの中で、
〈彼ら〉は〈私〉とともに(一つの)《脳裏-痛み=宇宙》となる。この《脳裏-痛み=宇
宙》のただなかで、あるいは一見いつもと変わりのない〈私〉のささやかな寝室兼浴室で、
捕獲することも、コントロ-ルすることも、そして支配することもできない何かの影が静
かに忍び寄ってくる。疑いとともに折れ曲がり、分岐し、繁殖し、互いに絡み合い、もつ
れていく問いかけ。「……気狂いピエロ? なぜピエロは気狂いなのか? 太古の大いな
る演劇(仮面の闘争)、あるいは他者に対する呼びかけと応答から誕生したあの舞踏はもう
永久に死に絶えてしまったのか? もはや決して自らの本性を展開することのない、どこ
から見ても滑稽な没落があるだけなのか?」 (再び一つの悪夢が、〈私〉の寝室兼浴室を
包み込む。――目の覚めるような月光に照らされたアクロポリスの片隅で、〈私〉はいつし
かデナリを見失っていた。彼女は〈私〉の視界を覆っている間接透視用プリズム・ケ-ス
[連結コ-ド:SIAM-Z]の極端な可塑性を密かに利用して、〈私〉の視野の反-裏側
の準-海綿状迂回路を滑るように通過した後で、〈私〉が再び十分に目覚めるまで自らのチ
ェンチねじれダンスを巧妙にもひたすら[かろうじて想定された]内-側へと折り畳むこ
とで、いったん〈私〉から超-柔軟平衡遮蔽したのだった。思えばあの夜、「沈旬」[「沈
春」の無期限感謝提携姉妹店]で彼女と久しぶりに出逢った時に、〈私〉は彼女とプロトタ
イプ治療蝿セットを交換し、それを一思いに「沈旬」のジヴァンシ-製反戦略防衛タイプ
暖房洗浄便座に流したのだ。〈私〉と彼女のプロトタイプ治療蝿セットは、無論、超-快楽
暖房状態のままゆっくりと溺死していった。この運命の行為は、やがて〈私〉とデナリと
の間に展開されるであろう新たな舞踏の予感として十分なものだった。だが、〈私〉はその
予感を予感のままに耐えることをしばらくは受け入れた。彼女がそうすることを望んだか
らだ。打ち明けて言うと、彼女は〈演劇=舞踏〉という一見余りにも古風に見えるスタイ
ルによって、あの《若い娘=X》を見事に育て上げたのだった。)』

 『――〈お前〉の問いかけは、〈私〉にはるか昔のあの出来事を思い起こさせる。あの〈演
劇=舞踏〉の《超-訓練プロセス》に十分耐えられるほど強力な〈個体〉は、その当時で
さえほとんど皆無だったのだ。古代においては、〈演劇=舞踏〉のプロセスこそが〈個体〉
の本性を展開するための必要条件でさえあったのだが、数え切れないほどの〈準-個体〉
は、このプロセスとともに本性を展開しようと欲しつつも没落していったのだ。とめども
なく、大量の血が流れていった。確かに彼らには完全な個体化を目指す限界への意志があ
った。だがやがて、この意志にとっての最大の危険が生まれた。それも一つの〈出来事〉
だった。あの〈演劇=舞踏〉のプロセスに一定の安定性を与えるために、外部から知的な
《秩序=形式》が導入されたのだ。《安全》を求めて《最大の危険》へと到る……。黄金時
代は終わった。(もちろん、簡易奴隷制度は青空のもと、残った。) これ以後、自らの本
性を展開することと演劇行為との間にある亀裂が生じ、両者は以前の強固な結びつきを失
っていった。舞踏を欠いた演劇。そしてそれ以後、〈我々〉はメディア=媒体なしには一切
が死に絶えざるを得ないかのような状態へととめどもなく落ち込んでいった。《媒介》こそ
が絶対的なものとなったのだ。すなわち、存在=知。存在と知を絶対的に媒介するものこ
そが、世界を捕獲し、コントロ-ルし、そして支配する。――ハイパ-・メディアの汎神
論。あるいは、無際限のコ-ティングの開始。〈お前〉は、それもすでに途方もない昔話だ
と言うのか? そんなことは、この《変換跡地界わい》が、まだおとなしく超-大量ゴミ
の搬入を待ちこがれることができたあの幸福な時代の話だと。ところが、何と驚くべきこ
とに、〈我々〉はいまだにこの延長線上に位置している。決してそこから立ち去ってしまっ
たわけではないのだ。自らの本性を展開することは、それ故、極端なまでに危険なもの、
呼びかけと応答のない気狂いピエロか、空虚な形式性(遍在する密室のセレモニ-)かの
どちらかに没落してしまうのだ。……だが、いつまでそれが続くだろうか? 〈それ〉、あ
るいはこの予感が?』

『――ハ ハ ハ ハ!   ハ ハ!!  〈今〉の内せいぜい嘆くがいい。待ち望
まれていたもの、未知のものへの旅は、むしろこれから始まるのだ。新しい《砂漠=大地》
を探せ! その《砂漠=大地》をも乗り超えていくために。すなわち、見せかけ=無、た
だの《ゼロ》、ただの《ごまかし》、大いなるゴミたち、あのなつかしの東京湾中央防波堤
内-外側廃棄物処理場、そして《存在=知》=人を死に追いやるほんの冗談……。これら
すべてを他の一切とともに果てまで横断した後で。――終わりのないプロセス。楽しい旅
は続いている。訴訟=過程。不断の、そして果てのない舞踏。綱渡り。転落。だが、不透
明ではない。たとえ無限に多様なヴェ-ルの重ね合わせによって織り込まれ、偽装されて
はいても、全く透き通っている。ただし、その都度《炸裂する今とここ》を乗り超えなが
ら。
 
 (「――叫び声が聞こえる。だが、それがこの〈私〉に、そして〈お前〉に、一体《何》
の関わりがあるんだ!」 「それは果てまで疾走することを求めている。すなわち、探す
こと、あるいは、終わりなき表現を。」 「――《何》? 〈それ〉が一体《何》だって?」 
「《何》でもかまわない! ――《何》? ゲ-ムが成り立たない? それは《規則》のせ
いだろ! 〈お前〉が〈それ〉をこしらえたのか?!」 「――《何》? “《何》だ〈こ
れ〉は?!”だって?  だったら〈その〉“《何》だ〈これ〉は?!”と《何(か)》は、
一体《どこ》からやって来るのか?

いっそ《何》かバカげていないものを、〈ここ〉で《替わり》に示してくれ!」)

 こうして終わりのない旅が続く。――新しい《砂漠=大地》を果てまで探せ! 果てま
でと言う必要がある。それは、常に果てまで疾走していくのだから。追いつけるだろうか? 
走りながらの問い。〈疾走=速度〉のただなかで、この問いは砕け散る。それは決して滅び
去りはしない。何かが待たれている。探すこと、表現、あるいは作り、仕上げ、引き裂き、
再び作り替えること。絶えず〈この手〉はうがたれ、変貌する。あくまでも未完のプロセ
スとしての、作り、仕上げ、引き裂き、再び作り替えること。たとえ、それがすでにばら
ばらに砕け散っていても。そして、それは避けられない。いつものことだ。この〈いつも〉
が仕上げられ、作り替えられ、そして再び引き裂かれ、血を流し、砕け散るのだから。未
知のものとの出逢いはそこにしか生まれない。言い換えれば、永遠にそこで誕生し続ける。
すぐ〈そこ〉、そして到るところで。ばらばらに引き裂かれ、血塗れになった〈この手〉が
繰り返し問いかけの標的になる。〈そこ〉で風/言葉/笑いに耳を澄ます。その動きは、あ
らゆる限界地点を突き破り、さらに果てまで疾走していく無限の触発だ。そうであってこ
そ初めて……。』

 『――確かに、それは滅び去りはしない。むしろ、〈そこ〉から全く新しい通路が切り開
かれた。深くうがたれた《砂漠=大地》の上で、〈生き物=触発〉が呼びかけの通路を自ら
切り開く。(〈そこ〉では、あのプロトタイプ治療蝿でさえ華麗な変貌を遂げる。) この
《砂漠=大地》の上では、こうした奇跡/軌跡、すなわち〈生き物=触発〉変換がしばし
ば起こる。最も微細な出来事として、〈演劇=舞踏〉が、いやそれ以上の何かが〈そこ〉で
生まれた。〈生き物=触発〉が内包する〈表現/痛み〉は、風/言葉/笑いに耳を澄ますと
同時にどこまでも研ぎ澄まされていく。無数の〈脳裏-痛み〉を横断していく風/言葉/
笑い。この狭間ではすべてが引き裂かれる。すべてがこの《狭間》となる。そして、一切
がうがたれていく。線分化不可能な《砂漠=大地》。
あるいは、《脳裏-痛み=宇宙》の無限生成。
 生まれたての問いかけが〈それ〉を求めている。――確かに、〈それ〉は滅びはしない。
むしろ、未知のものへの旅。』

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